虹の国からナマステ!

遠い異国の地、南アフリカで37歳で乳がん宣告?!

乳がん告知の日

彼と一緒に8:15にはクリニックに到着。

まだ先生はクリニックに到着しておらず、彼と二人で待合室で待っていました。二人とも緊張していて、殆ど会話なし。

 

8:25頃に先生が到着、診察室に呼ばれました。

先生のデスクにあるコンピューターのディスプレイには私のマンモグラフィーと超音波検査の写真が写っており、先生の手には私の生検検査の結果、それを彼に渡しました。

 

「彼には検査結果を見ながら私の話を聞いてもらった方がいいから、あなたは私の話を聞いてね。」→私の英語力があまりないのがわかってるので。

 

「残念ながら、あなたの乳首の近くにあるのは乳がんでした。」

 

予想がついていたとはいえ、ショックだった。。。

正直現実ではなく、夢なのかなって少し思いました。

横にいた彼を見たら、ショックだったようで、少し固まっていました。

彼の方が私よりショックだったはず。

 

「恐らくがんができてから2,3カ月、初期のがんでステージ1ではないかと思います。乳がんって聞いてショックだと思うけど、このレベルのがんだったら治るから!それにあなたはまだ若いし、健康的な体だから気を落とさないで!」

がんの種類に関してはトリプルネガティブではないこと、進行性に関しては凄く早いわけではないけど、遅くもないとのこと。それ以外は英語が難しくて理解できず。

 

この後は先生が彼にこれからどうするべきなのかを説明してくれました。

がんと診断されると保険がOncology Benefitになるので、まず保険会社に連絡すること、そして先生からがんの専門医と外科医を紹介されました。きっと先生は私が泣き崩れると思っていたと思うが、自分でも驚いたことに凄く冷静。私は一切泣くことはなく、先生の説明を冷静に聞いていました。

 

診察室を出て、彼が受付の人から色々な書類をもらっている間、私は母に電話をした。

しかし母は車の運転中のだったようで電話に出なかった。

ラインで私乳がんだったと送り、その後に泣いてしまった。

 

家に到着してから、母から折り返しの電話があった。

泣いてはいけないと思いながら、

「私、乳がんだった」

母はびっくりしていたが、やはりと思っていたと思う。

この後に色々と話したけど何を話したか覚えていない。

会話の終わりに母から

「あまり落ち込まないで!あなたは考え過ぎるから今はリラックスして落ち着きなさい。」

電話を切った後も涙が止まらなかった。人生で一番ショックな出来事。

私の人生はもう終わりだって思うと辛くて悲しくて。

 

コロナで日本に帰国するのも難しいので、もしかしたらこのまま家族に会えずに死ぬことになるのかなって思うと涙が止まらなかった。

 

彼はというと、保険会社に電話をしてがん告知されたのでOncology Benefitにしてほしいこと、Oncologistと外科医に電話で診察予約してと手続きを全部やってくれました。

私一人だったらこんなにテキパキとできなかったから、本当に感謝しています。

 

乳がん告知は2020年10月15日、これを書いている今は11月14日。

一カ月前のことだけれど、がん告知されたときのことを思い出すと少し涙が出てしまった。まだ一カ月しか経っていないけれど、すごく前のことが気がします。